陸前高田から帰ってきました
(「大きな和」スタッフTシャツを旗印に)
陸前高田での炊き出しボランティアから戻ってきました。
4月15日(金)PM9時30分、ラーメンスープ用の食材を車に積み込み出発。
翌朝、東北道一関インターを降りたところで別便で来てくれた友人達と
合流して現地に向かいました。
道中、現地入りするまでは普通の街並みが続いていたものの陸前高田に
近づき、ある地点から景色は一転。
現地入りする前に被害にあった駅周辺を見ていったほうがいいという
先輩のアドバイスに従い、被災地に向かいました。
(陸前高田駅周辺)
(ホームから見た線路)
テレビで見るのとは桁違いの360度どこを見ても瓦礫の山。
これでも随分と片付いてきたそうです。学生時代に教科書で見た、
戦後の焼け野原の様な情景が広がっている現実を目の当たりにし、
目頭が熱くなるばかりで言葉がみつかりません。
(中央部分は車です)
地域では自衛隊の方達の活躍が目立ちました。
その後実際に炊き出しをしている現地に向かいました。
大和から運んだコンテナキッチンはフル稼働で昼夜各100食のラーメンや、
大和から炊き出しに来てくれた飲食店の方達の心のこもった料理に、
被災地の方に喜んで頂き、今回の活動の意義や有効性を痛感しました。
(コンテナキッチン)
(ラーメンを食べに来てくれた子供たち)
私も素人ですが、ラーメンを作るために厨房に入り、
夢中で段取りを教わり、具材の仕込みなどもさせて頂きました。
(炊き出しに来てくれた焼き鳥屋さんの焼き鳥丼を食べる子供たち)
また現地で被災された方の中には以前ラーメン店で
働いていた方もおり、その方達もお手伝いしてくださいました。
他にも本当に様々な方が趣旨にご賛同頂き、たくさんの
ボランティアの方が集まって「大きな和」が広まっています。
(手伝いに来てくれた友人達)
夜の仕込が終わった後は小さな漁港付近の知人宅をお借りしました。
(知人宅。一見なんとも無いように見えますが...)
(すぐ真下の長屋には隣の家の壁が押し寄せています)
(残った家と流された家、ほんの僅かな立地の差です)
(船が高台に乗り上げています)
(海には屋根が浮かんでいました)
休憩中に別の被災地を見に行くと、海岸線の公園があったという地域は
津波による海水が引かずにこの様な状況です。
(完成間近の野球場の照明が見えます)
(周辺の道路は海面との高さが同じになっています)
現地の方とのふれあいの中で、前向きに頑張ろう!と意欲を持っている方や
まだまだ悲しみから立ち直れない方など様々ですが、私たちに出来ることは
現実を受け入れ、手作りの心のこもった食事を提供し、それを食べて元気を
出してもらうこと。
このブログを書いている今も私達の仲間が現地で炊き出しを行っています。
単発でなく、継続性のある活動であるが故にスタッフのシフトや引継ぎの問題、
材料調達の為の資金の問題など日々刻々と変わっていく状況の中で、
臨機応変に知恵を絞りながら頑張っています。
現地には食べ盛りの学生達も多く、私達の提供するラーメンを楽しみに
している方がまだまだたくさんおられます。
また私達の活動は現地で口コミで広まっており、これからも食べに来て
下さる方は増えていくでしょう。
中々ブログだけでお伝えするのは難しいですが、本当に価値ある活動に
なっていると実感いたしました。
これからも引き続きブログやSNS等でこの活動を広めて頂けたら嬉しいです。
また、この活動を継続していく為に、わずかでも結構ですのでご支援を
頂けたら幸いです。
http://www.big-peace.org/
私は19日(火)の夜の炊き出しを終えて帰路に着いたのですが、その日は
とても寒く、季節外れの雪がちらつきました。
最後にラーメンを食べに来てくれたご夫婦に「温まりましたか?」と尋ねると
「身も心も温まりました!ご馳走様でした!」
と言って下さり「来てよかった」との熱い思いが込み上げ目頭が熱くなりました。
20日の早朝、無事に家に帰り、まず風呂に入りました。
気持ちよく寝ている子供たちの寝顔を見て自分の布団に横になりました。
普段どおりの生活がこんなにありがたいものであることに感謝です。
これからも「大きな和」が広まって行きます様に...。
気持ちよく寝ている子供たちの寝顔を見て自分の布団に横になりました。
普段どおりの生活がこんなにありがたいものであることに感謝です。
これからも「大きな和」が広まって行きます様に...。